産みの苦しみ 2006 6 6

 今後も、捜査機関による強制捜査によって、
株式市場が乱高下するかもしれませんが、
これは、株式市場が公平・透明な市場として生まれ変わるための、
産みの苦しみ(生みの苦しみ)として考えたい。
 今までの株式市場は、特殊な人による特殊な市場でした。
だから、行儀が悪いと思われる行為があっても、
「しょうがない」で終わってきたと思います。
 たとえば、数年前には、このようなことがありました。
株式の大幅分割が発表されたのは、午後なのに、
すでに、午前中には、ストップ高になっていた。
 しかし、これからの時代は、
「しょうがない」では終わりません。
本屋には、株式投資の本があふれ、
お茶の間でも、株式投資の用語が使われるようになりました。
つまり、一般の人までも、株式市場に参入したか、
参入する可能性があるのです。
 こうなると、株式市場にも、一般社会と同様の、
あるいは消費社会と同様の「厳しいルール」が求められます。
もはや、「行儀が悪い」では済まされなくなったのです。
 こうした環境の変化に、
古い投資家や市場関係者は、気づいていないのではないかと思います。


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